水とか電気とかガスといった資源を全く節約せずにガパガパ使ってしまう中高年を見る時がある。そういう人を見ると、どうしてあれほど多く使うのか? と思ってしまう。非常に無駄遣いをしているように見えてしまう。
それとも、僕の節約意識が強すぎて、世間一般における資源の「普通」の使い方が無駄の多いものに見えてしまうだけなのだろうか? いや、あまりそうは思えない。
成育時期に物的な豊かさがなかったが、大人になって懸命に働いた結果、子どもの頃とは比べ物にならないほど物的な豊かさを得たという人は、高齢になってくると資源を節約せず使いすぎる傾向があるのだろうか?
人間というものは満たされないものを満たそうとするが、満たされない「飢え」の程度や期間が大きすぎると、満たされた(「飢え」が解消された)後でも、とめどなくもっと多くの満足を得ようとするものなのか?
仮にそうだとしたら、なぜそうなのかという疑問が生じるが、その答えの鍵となるのは、自分を顧みることができるかどうかということであるような気がする。
最近、「MidRadioPlayer」という、XGでMIDIを再生できるプレーヤーを導入してみました。以前使っていたPCにXG音源が入っていたのですが、その頃に聴いていたMIDIをMidRadioPlayerで聴いてみたら、当時聴いたのと同じ音が再生されて「やっぱりこれだ」と思いました。
10年くらい前はまだXGが搭載されたPCが出回っていたかもしれませんが、今ではすっかり廃れてしまって、PCで普通にMIDIを聴くとWindows標準の音源(GS?)で再生されて、MIDIによってはいかにも電子音といった感じの音を聴くことになってしまいます。かつて聴いた音をまた聴いてみたいと思い、XGについて少し調べてみたところ、この音源を搭載したプレーヤーをYAMAHAがフリーソフトとして提供していることを知り、それで今回そのフリーソフト、「MidRadioPlayer」を導入してみたというわけです。
例えばMP3は、音そのものを0と1の羅列に変換し記録したデータ(WAV)を圧縮したファイルですが、MIDIは音の鳴らし方、言わば「音符」を記録したデータファイルであるそうです。そして、MIDIは音源というものがないと再生できず、またその音源によって音や旋律の聞こえ方・印象が大きく変わるようです。ただし、そのMIDIがどの音源(GS? GM? XG? …)に合わせて作られたかにもよるので、XG向けMIDIをGMで聴いたり、GM向けMIDIをGSで聴いたりしても音の聞こえ方・印象が変わってきます(ひどい場合には旋律が崩れたり特定の楽器パートが聞こえなくなる)。
音源にはハードウェア音源とソフトウェア音源があり、XGはソフトウェア音源ですが、この音源でMIDIを聞くとWindows標準の音源(GS?)よりもずっと高品質な音になっていることが少なくないという印象を持ちます。
カレンダー
リンク
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
ブログ内検索
P R
カウンター