儚く消え去ってゆくのに、その時を好み、その時に入り込んでゆく幻想。
それぞれの意志は共通概念となるものではなく、個々の独立した意味として成立している。物理的に分かたれていて、個体が他の個体の真意を知り得ることは原理的にはない。
見せかけの笑顔で互いに騙し合い、騙され合い、また、そうしたことを求めて生きている。だから、仮にそこから「楽しみ」を取ったら、たちまち前が見えなくなり、心の底から生じる闇に侵され、生きていけなくなるだろう。目に映る他のものは、それを見る者自身の認識する世界に幻の空間を創る。
奪い合うばかりの世界では、奪う側も支配されている。自衛に徹するなら他を傷つけ得る力を持たない。欲望と憎しみがグロテスクな歴史を作った。
感覚。気付かないうちに、思考や行動の基礎が狭くなっているということ。多様化した価値は、単純な論理を許さない。思想的な侵略さえある。欲望が根底にある。そういったものに容易に支配され続ける限り、意義は存在し得ない。
互いに利用し、利用され、相互作用によって成立している。組織を見ても、セルフコントロールのできない何かに支配されている。それゆえに、問題が起こるのではないだろうか。しかし、そのような見方も発想を変えれば、支配ではなく選択の結果とも解釈できる。
それでも、最終的に意味を持つのは、体系的に定義されたものだけではないかと考える。欲望とそれの反対の側にある論理。そこに根源的な矛盾が存在していると思える。
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